伝説
伝説によれば、後漢の末、関羽は麦城で敗れ、東呉に首をはねられましたが、その魂は散らずに荊州一帯でたびたび姿を現しました。ある夜、関羽の霊は湖北の玉泉山へと漂い、山中で修行していた天台宗の智者大師に出会うと、声を荒らげて問い詰めました。「わが首を返せ!」。大師は静かに問い返します。「将軍は生前、数えきれないほどの人を殺めました。その人々の首は、誰に返してもらえばよいのでしょう」。この一言は雷のように響きました。関羽は自らの殺業の深さを悟り、その場で懺悔して帰依し、受戒して仏教の護法神——すなわち伽藍菩薩——となり、玉泉山で霊験を現して仏法を護ったといいます。
この物語の最古の記録は、唐の貞元十八年(802年)の董侹(とうてい)による「重修玉泉関廟記」です。帰依の場面が完全な形で見られるのは北宋の文献です。年代は史実と合いません(智者大師が生まれたのは関羽より三百年以上も後です)が、仏教の中国化を物語るもっとも見事な一筆といえるでしょう。漢民族がもっとも敬う武聖を、仏門の守護神として迎え入れたのですから。明・清の時代、この信仰は移民とともに海を渡って台湾に伝わり、こうして台湾には「一柱の神に二つの名、仏教と道教でともに祀る」という独特の風景が生まれました。
