台湾の仏教の神様
台湾の仏教は地元の文化と融合しています。観音菩薩や地蔵菩薩など、人々に安らぎと導きを与える慈悲深い仏たちをご紹介します。

観世音菩薩
どんな宗教を信じていようと、人生でいちばんつらいとき、たいていの人が一度は「観音媽(かんのんま)、お守りください」と口にしたことがあるはずです。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)——台湾の人々が親しみを込めて観音媽、観音仏祖(かんのんぶっそ)と呼ぶ菩薩——は、白衣をまとい、浄瓶(じょうびょう)と楊柳を手にした姿で、仏教・道教・民間信仰の垣根を越える、もっとも敷居の低い菩薩です。その務めはたった四文字、救苦救難(きゅうくきゅうなん)。仏典によれば三十二の化身を持ち、苦しむ人がいればどこへでも赴きます。信仰も、あなたがこれまで何をしてきたかも問いません。面白いことに、観音はインドの仏教ではもともと男性の姿でした。中国に伝わってからおよそ南北朝のころより次第に女性化し、唐・宋以降、私たちのよく知る白衣の慈母となります——中国の人々の心にある慈悲の極みが母の愛だったからだ、と説く学者もいます。台湾のどの廟に入っても、主神が誰であれ、たいてい観音の姿を見つけることができます。

釈迦牟尼仏
二千五百年前のある月夜、一人の太子が白馬にまたがり、眠りについた妻子を残してそっと城を後にしました。二度と振り返ることはありませんでした。彼こそ釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)——台湾の人々が仏祖(ぶっそ)、世尊(せそん)、如来仏(にょらいぶつ)と呼ぶ、仏教の開祖です。本名は悉達多・喬達摩(シッダールタ・ガウタマ)、古代インドの迦毗羅衛国(カピラヴァストゥ)の王家に生まれました。29歳のとき、「四門遊観(しもんゆうかん)」で老い・病・死の真実を目の当たりにし、解脱の道を求めて出家を決意、ついに菩提樹の下で悟りを開いて仏となりました。台湾では、佛光山(ぶっこうざん)、法鼓山(ほうこざん)、慈済(じさい)、中台禅寺(ちゅうだいぜんじ)という四大山頭がそれぞれ趣を異にしながらも、みな釈迦牟尼仏を本師と仰いでいます。ついでに整理しておきましょう。釈迦牟尼はこの世界に実在した教主、阿弥陀仏は西方極楽世界の仏、観音はまだ仏になっていない菩薩です——仏寺に入る前にこの三尊を区別しておくと、参拝にも自信が持てます。

阿弥陀仏
台湾の人々は、あいさつにも、お礼にも、ため息にも「阿弥陀仏(オーミートーフォー)」と口にします。一つの仏の名号が日常語になっているのですから、その浸透ぶりは想像がつくでしょう。阿弥陀仏(あみだぶつ)は無量寿仏、無量光仏、接引仏(せついんぶつ)とも呼ばれ、西方極楽世界の教主です。浄土宗の念仏の教えでは、心から信じて願い、「南無阿弥陀仏」と称えさえすれば、臨終のときに仏が迎えに来て、西方極楽浄土に往生できるとされます。深い学問は要らず、一句の名号なら誰でも唱えられる——これこそ、念仏が台湾でもっとも普及した仏教の修行法になった理由です。寺院の仏七法会や日々の勤行から、お年寄りの枕元に置かれた念仏機まで、この名号は島のあちこちで昼も夜も称えられています。阿弥陀仏は観世音菩薩・大勢至菩薩とあわせて「西方三聖」と呼ばれ、台湾の人々が生と死に向き合うとき、もっとも大切な拠り所となっています。

地蔵王菩薩
「地獄が空にならないかぎり、仏にはならない。衆生をすべて救い終えて、はじめて菩提を証する」——こんな誓いを立てたのが地蔵王菩薩(じぞうおうぼさつ)です。民間では幽冥教主(ゆうめいきょうしゅ)とも尊ばれ、漢伝仏教の四大菩薩の一尊として「大願」を象徴します。その姿は見分けやすく、比丘(僧侶)の姿で頭に五葉の毘盧帽をかぶり、片手の錫杖で地獄の門を震わせて開き、もう片手の明珠で冥界を照らします。台湾の地蔵王は、とりわけ境界をまたぐ存在です。仏教の菩薩でありながら、中元普渡や祖先祭祀、葬送儀礼に深く根づいています。毎年旧暦七月には、各地の寺院や地蔵庵で供養の法会が次々と営まれます。家族が亡くなったとき、僧侶に『地蔵経』を読誦してもらい故人に回向することは、多くの台湾の家庭が経験してきたことです。亡き家族のために何かしたいと思ったとき、多くの人がまず思い浮かべるのが、この菩薩なのです。

薬師仏
毎年の旧正月、台湾の寺院は灯明を灯すために並ぶ人でいっぱいになります。その多くが灯すのは薬師灯で、願うのは家族が一年間病気も災いもなく過ごせることです。健康を託されるこの仏こそ薬師仏(やくしぶつ)。正式には薬師瑠璃光如来、大医王仏とも呼ばれ、東方浄瑠璃世界の教主です。阿弥陀仏・釈迦牟尼仏とあわせて「横三世仏」と称されます。成仏する前に立てた十二の大願は、「除病安楽」から「得妙飲食」「得妙衣具」まで、どれも生身の現世の暮らしに関わるものです。身体が健やかであること、暮らしが立つこと、心が安らかであること。だからこそ薬師仏は、病気の回復や災いの消除、長寿を願うとき、台湾の人々がもっとも思い浮かべる仏となりました。家族が病気になったとき、親が年を重ねてきたとき、薬師殿で灯明を一つ灯す——それは多くの台湾の家庭で毎年欠かせない習わしです。

弥勒仏
廟の入口で胸とお腹をあらわにし、目が線になるほど笑っている太った和尚さん——誰もが知るあの姿が弥勒仏(みろくぶつ)です。大肚弥勒(だいとみろく)、笑仏とも呼ばれ、民間では布袋和尚(ほていおしょう)とそのまま呼ぶこともあります。けれど多くの人が知らないのは、その正式な立場が「未来仏」だということです。仏典の予言によれば、釈迦牟尼仏の教えが尽きたのち、弥勒が人間界に生まれて仏となり、広く衆生を救います。それまでは弥勒菩薩として兜率天(とそつてん)にとどまり、その時を待っています。台湾の人々が弥勒を愛するのは、「大きなお腹は天下の容れがたきことを容れ、笑う口はいつも開いて天下の笑うべき人を笑う」という言葉ゆえです。どんなにつらい日々でも、あの笑顔を見ると、なんとかやっていける気がしてくる。だからこそ、寺院の山門から商店のカウンターまで、いたるところでにこにこ顔の弥勒に出会えるのです。

文殊菩薩
受験シーズンが来ると、文殊菩薩を祀る寺の供物台には、受験票のコピーが山のように積み上がります。文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は文殊師利、大智文殊とも呼ばれ、仏教で「智慧第一」とされる大菩薩です。普賢菩薩とともに釈迦牟尼仏の脇侍を務め、あわせて「釈迦三尊」と呼ばれます。中尊が毘盧遮那仏に替わると「華厳三聖」となります。その姿は一度見たら忘れられません。右手に高く掲げた智慧の剣が断ち切るのは敵ではなく煩悩、左手には般若の経典を持ち、青い獅子にまたがって智慧の力強さを表しています。台湾では学生や受験生の守り神で、大きな試験の前に文殊菩薩の前で智慧と合格を願うのは、多くの家庭の恒例行事です。とはいえ、文殊が司るのは試験だけではありません。授けてくれるのは物事を見通す力ですから、人生の難問も持ってきて相談してみてください。

普賢菩薩
仏教の四大菩薩にはそれぞれ得意分野があります。観音は悲、文殊は智、地蔵は願、そして普賢菩薩(ふげんぼさつ)——遍吉菩薩、大行普賢とも呼ばれます——が表すのは「行」、つまり仏法を実際に行うことです。『華厳経』では「諸仏の長子」と尊ばれ、文殊菩薩と左右に並んで釈迦牟尼仏の脇侍を務め、「釈迦三尊」と呼ばれます。文殊は見通す力、普賢はやり遂げる力を表しているのです。その姿は見分けやすく、白い六牙の象にまたがっています。六本の牙は六波羅蜜——布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若——を象徴しています。台湾では、普賢信仰は観音や地蔵ほど広まってはいませんが、その「十大願王」は数えきれない仏弟子たちが毎日の朝夕の勤行で拠り所とする行動の指針です。わかっている人は知っています。普賢を拝むとは、「口先だけで終わらせない」ことを拝むのだと。

韋駄菩薩
台湾の仏寺に入ると、まず目に入るのはにこやかな弥勒。ところが振り返ると、金の甲冑をまとった武将が杵を手に、本堂の方を向いて立っています——これが韋駄菩薩(いだぼさつ)、韋駄天、韋将軍とも呼ばれる、漢伝仏教でもっとも有名な護法神です。弥勒は外を向いて客を迎え、韋駄は内を向いて寺を守る。「寺に入ればまず弥勒、振り返れば韋駄」というのが天王殿の伝統的な配置です。その務めは仏法を護り、寺院を守り、魔軍を降すこと。通な人はもう一つの細部に注目します。韋駄が手にする金剛杵の構え方が、その寺の掛単(かたん。行脚僧の宿泊受け入れ)の決まりを示しているのです。杵を両腕の上に横たえていれば行脚僧を三日間受け入れ、腰のあたりに立てていれば一日、杵を地に突いていれば掛単はお断り。次に仏寺の山門をくぐったら、この寡黙な門番の将軍をぜひ振り返って見てください。

伽藍菩薩
ご存じないかもしれませんが、関公には仏寺でのもう一つの名前があります。伽藍菩薩(がらんぼさつ)——伽藍尊者とも呼ばれます——は漢伝仏教の寺院の守護神で、そのもっとも有名な化身こそ関聖帝君・関羽です。「伽藍」とはもともと僧たちが住む清浄な道場のことで、伽藍菩薩はその道場の守り手です。言い伝えでは、関羽は戦死したのち天台宗の智者大師に導かれて仏門に帰依し、以来、護法の身として仏寺を守っているとされます。漢伝仏教の寺院では、韋駄菩薩と内と外で対になるように祀られています——「外には魔を降す韋駄、内には寺を護る伽藍」。そのため台湾では、同じ関公が二つの顔を持っています。関帝廟では武聖であり財神、仏寺の伽藍殿では護法神なのです。

不動明王
全身が青黒く、目をかっと見開き、背後には炎が燃えさかる——初めて不動明王を見た人は、たいていぎょっとします。仏教の護法がどうしてこんな姿なのか、と。不動明王(ふどうみょうおう)は不動尊とも呼ばれ、密教の五大明王の筆頭です。「明王」は仏でも菩薩でもなく、諸仏が教化しがたい頑なな衆生を降すために現す忿怒の姿で、不動明王はまさに大日如来の化身です。右手の降魔の剣で煩悩を断ち、左手の羂索(けんじゃく)で衆生を苦しみから引き出し、足元の盤石は道心が退かないことを象徴します。その炎が焼くのは人ではなく、業障です。台湾の不動明王信仰は少し変わった道をたどりました。主に漢伝の系統ではなく、日本統治時代の日本仏教(真言宗など)によって伝えられたのです。北投温泉区にある北投不動明王石窟(ほくとうふどうみょうおうせっくつ)は、日本統治時代の大正年間に残された遺跡です。信仰としては少数派ですが、その物語は奥深いものです。